江戸時代の将棋について語ろう part1

1名無し名人2018/05/31(木) 14:39:41.44ID:eW8aZzSR
江戸の将棋について自由に語りましょう

私が好きなのは二代大橋宗古(二世名人)、六代伊藤宗看(十世名人)、大橋柳雪(七段)

583名無し名人2019/05/23(木) 03:18:05.29ID:Opl65uNF
>>582
かなりいい線いってるけど、微妙に足りない感じ。

当時の名人は、その時代の最強者であればいいというものではなく、
名人に相応しい棋力(=九段)にならないといけなかった。
そのためには、まず八段に上がり、更に数年間は精進する必要がある。

名人の六代宗英が亡くなった時、六代宗看はまだ七段だった。
(歴代名人の中で飛び抜けて強い宗英でも段位は九段なので、
その時代の棋士はみんな過小評価されていたんだろう)

その後、宗看は遅くとも47歳までには八段になっており、
50代前半の頃には柳雪相手に香を引いて完勝しているので、
このあたりで名人九段に相応しい棋力だと認められたはず。

しかし、56歳の時に長男の看理が亡くなっている。
その看病や気苦労などで、名人になる気分ではなかったのかもしれない。
名人襲位はその1年後だから、喪が明けるまで待ったんだろう。

つまり、空位は名人に相応しい強さと状況が整っていないだけで、
整ったらすぐに襲位したと見た方がいいと思う。

584名無し名人2019/05/23(木) 03:33:06.61ID:Opl65uNF
三代宗与→三代宗看の時は無理やり名人空位を回避していたので、
まだ段位制度が固まってなくて融通が利きやすかったのかもしれない。
(段位制度ができたのは1700年前後で、宗与が亡くなったのは1728年)

585名無し名人2019/05/23(木) 03:43:54.51ID:Opl65uNF
将棋史全体を網羅的にまとめた凄く参考になるサイトを見つけた。
(近現代将棋史が中心だけど)

今は見れなくなっているけど、アーカイブされていたものは見れる。
https://web.archive.org/web/20181106185932/http://www.geocities.jp/yamamrhr/ProIKE0911-182.html

こんな労作、どこかで復活させてくれたらいいのに勿体無いなあ。

586名無し名人2019/05/24(金) 23:22:15.32ID:FprBTDtO
586

587名無し名人2019/05/26(日) 22:41:21.26ID:3/oVKLxP
587

588名無し名人2019/06/01(土) 03:52:24.92ID:buCkCV+h
588

589名無し名人2019/06/05(水) 12:31:20.04ID:cNgYkxwN
>>582
>>583
大橋分家八代の柳雪(大橋英俊)は
お城将棋では
伊藤家にあまり勝てなかったか
長男看理に平手で1勝したが 弟の看佐 には平手で2敗
老齢の親父の宗看まで左香、右香落とされて負けてる
分家の先代大橋宗與(七代)を再登場させたあたりでは
分家からお払い箱が間近だったかもしれない
病気では仕方がない
柳雪の八代は取り消しになり 若い大橋宗aが大橋分家の八代を継いだ
そして20年後、柳雪を師と仰ぐに在野の宗歩と八代宗aがお城将棋で対決となる

590名無し名人2019/06/07(金) 10:47:53.32
柳雪はかなり強かったが例の詰み逃しをやらかしたのがかなり痛かったな

591名無し名人2019/06/07(金) 10:48:41.49
詰みを逃すくらいならまだ良いけど、それで駄目にして負けたところが八段になれなかった理由だろう
実力で言えば柳雪は間違いなく八段の実力があるかとは思うがね

592名無し名人2019/06/13(木) 07:41:13.28ID:7vGXMTL+
九代宗桂はお城将棋デビュー戦が初代看寿で
本人はぱっとしないけど前後の世代が有名人揃いなので
過去編や番外編やることを含めての主人公化、って感じもする

593名無し名人2019/06/19(水) 09:58:05.34ID:If2NTtYI
伊藤家と大橋家は二代伊藤宗印ファミリーか

伊藤家三代伊藤宗看 1706-1761 二代伊藤宗印(五世名人)の次男
伊藤看寿(初代) 1719-1760 二代伊藤宗印(五世名人)の五男・兄三代伊藤宗看の養子となる
大橋家八代大橋宗桂 1714-1774 二代伊藤宗印(五世名人)の三男
└九代大橋宗桂 1744-1799 八代大橋宗桂の実子

将棋御三家ではそれぞれ駒落ちによるレーティングをやっており
伊藤家では1736年以降伊藤看寿(初代)がレーティング一位で兄三代宗看を抑えてお城将棋伊藤家代表になる
三代宗看が13歳年下の自分より強くなった弟看寿(初代)を養子にして次期名人にと狙ったが1年先立たれた
九代大橋宗桂は実質名人の叔父の看寿(初代)に1755年11歳からお城将棋で大駒落ちで鍛えられる
伊藤家は血のつながる四代以降弱くなったので
看寿に鍛えられ伊藤家の血を継ぐ九代宗桂は伊藤家の期待の星でもあったでしょうね

594名無し名人2019/06/20(木) 02:05:50.96ID:R27+G0Ue
>>593
レーティングって段位(名人に対する手合割)の事?

看寿が初めて御城将棋に出勤した時はまだ四段だし、
四代宗与と八代宗桂に駒を落とされているので、
段位としては4〜5番手だったと思われる。

伊藤家代表が看寿だったのは、当主の宗看が公務で忙しいからだろう。
御城将棋は1局に何日もかける事があるし。

595名無し名人2019/06/20(木) 10:34:40.79ID:mE/B5R6K
なるほど勉強になります
名人に対する手合い割ですね。今でいうレーティングに近い
恐らく五段あたりまでは各家内部で各家のトップとの手合い割で認定
そして各家のトップのランクはお城将棋で手合い割結果でつけたんでしょうね

八代宗桂に平手で勝った1739年から1751年まで看寿がほぼ伊藤家代表として出場
看寿が20代から30代の指し盛りの時ですから
看寿の末期は宗看と同等に近い棋力を持っていた可能性がある
ただ看寿の兄八代宗桂との将棋を並べたが序盤があまりうまくないw 終盤力で勝ってる
総合力ではやはり三代宗看か
おっしゃる通り
三代宗看名人は幕府への公務、伊藤家内の弟子の管理で忙しかったんでしょうね
伊藤家と他家の棋士との棋力差があり宗看名人まで出る必要がないという判断か
将棋好きの徳川吉宗の孫の家治(在位1760-1786)在位前からお相手してたのでしょう

596名無し名人2019/06/20(木) 14:23:42.55ID:GfPkNeX/
>>595
>幕府への公務、伊藤家内の弟子の管理

それに加えて、三代宗看は「碁将棋席次争い」を起こしていて、
行政に働きかけて将棋界の待遇を改善する事に積極的だった。
おそらく接待しまくって支援者を増やしたりもしただろう。

歴代名人の中で一番忙しかったかもしれないね。

597名無し名人2019/06/24(月) 19:13:18.29ID:9N7QzB8b
秀吉は将棋好きだったとか宗桂の名付け親は信長みたいな話をよく聞くけど
江戸時代以前から本将棋が主流だったのかな?

598名無し名人2019/06/25(火) 13:28:21.95ID:RoxcpEF4
いわゆる小将棋の方が駒数が少ないから普及しやすかった。

599名無し名人2019/06/25(火) 21:31:09.57ID:xiYRh8FN
>>597
小将棋と中将棋との比較という意味なら、
貴族や僧侶は中将棋、武士や町人は小将棋が多かったようだ。
(一流の人は囲碁も中将棋も小将棋も指せたようだが)

戦国時代の遺跡から出土した200枚近い将棋駒は全て小将棋だし、
安土桃山時代の駒師(「水無瀬駒」の元祖)の記録では、
小将棋が全体の84%を占めていて、中将棋は14%ぐらいだったので、
少なくとも安土桃山時代からは小将棋が主流。

昔の本では「当時は『将棋』と言えば中将棋の事だった」として、
「小将棋(少将棋)」以外は全部中将棋の記述と見なしていたが、
中将棋は対局時間が長過ぎるという事で、今は異論を唱える人も多い。

600名無し名人2019/06/27(木) 00:10:11.87ID:d5qHxRoc
>>599
>昔の本では「当時は『将棋』と言えば中将棋の事だった」として、

その割には中将棋の作物や棋譜って全然残ってないよね
自称歴史学者の多分こうだったんだろうっていう根拠の無い思いつきを垂れ流されるのが一番迷惑

601名無し名人2019/07/07(日) 17:35:54.00ID:/9BFalrF
本将棋は全然だったの?

602名無し名人2019/07/07(日) 19:53:49.98ID:jnVsgJDz
小将棋は、天文年間16世紀に消滅、小将棋から酔象を取り本将棋になったらしい
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B0%86%E6%A3%8B#歴史
それ以降江戸時代では本将棋の全盛で、中将棋は一部京都方面の貴族の方々が細々と...

603名無し名人2019/07/12(金) 00:01:45.15ID:yOnbGDro
将棋妙案100題に取り組んでるが、難しい・・・
来留島先生手ごわすぎ

604名無し名人2019/07/12(金) 13:28:49.05ID:G8/JLms4
久留島喜内か
http://park6.wakwak.com/~k-oohasi/shougi/html/myouan/myouan01.html
1問目は打ち歩詰めの打開か
12歩を王手で打てるようにならないと詰まなんな
71の駒は歩じゃないんかw 桂なら詰んだ♪ 全問は無理やと思ったわ
久留島喜内は和算家だけあって理数系のパズルやね

605名無し名人2019/07/14(日) 19:09:54.61ID:0ogVaeeU
605

606名無し名人2019/07/17(水) 21:18:38.23ID:k0IEZWmL
606

607名無し名人2019/07/20(土) 19:50:55.63ID:d9I7sX6v
607

608名無し名人2019/07/23(火) 17:50:09.98ID:0STZHbnF
608

609名無し名人2019/07/26(金) 12:51:47.75ID:zs6Pswx1
609

610名無し名人2019/07/31(水) 10:11:11.16ID:Ex30BKtq
負けたら斬首

611名無し名人2019/08/02(金) 23:49:53.75ID:UlKMFrkp
611

612名無し名人2019/08/10(土) 01:38:40.93ID:fnE3dL9A
将棋世界今月号 田丸さんの特別編
やはり柳雪は下野してから、ひとまわり強くなったんだな
堅苦しいお城将棋時代は伸び伸びと指せず冴えなかった 弱くはなかったが

613名無し名人2019/08/13(火) 10:21:39.88ID:kJRn/yPO
天野宗歩は1845年江戸に戻って数年
門下生が増え天野一門は隆盛を迎えた
その時期 お城将棋は
大橋分家は柳雪が下野して代わりに 宗歩と同年代の養子の8代大橋宗a
伊藤家は宗歩より10年下の養子の8代伊藤宗印が継ぐ
大橋家だけが9代大橋宗桂の実子にこだわり
宗歩の師匠の11代大橋宗桂は宗歩を養子に迎えず実子を後継とした
しかし実子の宗金は他家と
いつまでも大駒落ちのレベル、才能に乏しく平手や香落ちで戦えない状態
そこで1852年11代宗桂は大橋家の代指しとして宗歩をお城将棋に出場させた
相手は伊藤家は8代宗印ではなく 先々代6代宗看の弟子だった名古屋の和田印哲を宛てた
しかし印哲は名古屋で過去に完勝しており宗歩の敵ではなかった
宗歩の強さに感服した幕府は当日お好みとして
非公式戦で4連勝している大橋分家の宗aと指すように命じた
翌日翌々日指し継ぎ宗aに敗北。実力では上の宗歩の一生の不覚
この後宗aとの再戦はなし
宗歩人気がややが落ち、宗歩はお城将棋に興味を失い
1853年黒船来航後の1856年に格下自認の8代宗印に勝利するも旅打ちに出かけた

614名無し名人2019/08/17(土) 12:09:24.95ID:mnty8YRP
614

615名無し名人2019/08/20(火) 09:23:28.33ID:WF7oy4IO
615

616名無し名人2019/08/21(水) 22:24:50.72ID:dWLW2L0i
616

617名無し名人2019/08/27(火) 13:12:30.94ID:FUxL4Os6
617

618名無し名人2019/08/29(木) 14:18:16.37ID:D7gVtS2g
618

619名無し名人2019/08/31(土) 10:55:19.34ID:uywlj6bk
619

620名無し名人2019/09/04(水) 09:04:24.34ID:yQdbIJ/X
620

621名無し名人2019/09/08(日) 21:13:40.45ID:4BfvGN/E
621

622名無し名人2019/09/14(土) 20:44:19.53ID:cze5cjht
622

623名無し名人2019/09/18(水) 19:21:37.53ID:iCWmJ2a0
623

624名無し名人2019/09/19(木) 04:38:04.31ID:YaW8r8bC
天野宗歩 (wikiより抜粋&追加)
1816年、江戸の本郷菊坂にて、生まれる。幼名は小幡留次郎。後に天野家の養子に入る。
1820年、5歳で大橋本家の十一代大橋宗桂の門下となる。
1825年、初段となる。
1829年、14歳で二段となる。
1830年、15歳で三段となる。
1833年、17歳で四段となる。
1834年、五段に昇段する。上方に旅立ち大橋柳雪と左香落で対戦する。
1834年、江戸に戻ったが、1835年3月下旬には再び上方に旅立つ。そのまま上方で生活
1845年、江戸に戻る。富次郎と改名する。 六段弘めの会を催す。八代伊藤宗印と左香落で対戦する。
この年、分家の大橋宗aに平手で4連勝。
1846年、七段を許される。
1852年、別家を許され、剃髪して宗歩と名乗る。御城将棋に出仕が許されている。
1853年、黒船来航
1856年、御城将棋で伊藤宗印に勝利。これが宗歩最後の御城将棋となった。
1857年、越後路の旅に出る。御城将棋は欠勤し1858年正月まで旅先で過ごした。
1859年、死去。44歳であった
1860年、桜田門外の変。幕府の大老、井伊直弼を殺害
1861年、最後のお城将棋。大橋宗a死去
1868年、王政復古の大号令。徳川幕府の終焉

625名無し名人2019/09/19(木) 10:13:06.94ID:ADkB5VKb
>>624
この時代は初段からプロみたいなもんだから、
10歳でプロ入りしたようなもんだな。
とんでもないわ。

でも、将棋史にとって一番重要な出来事は、
詐欺みたいな賭け将棋で事件を起こした事だろう。

これだけ強いのに名人になれない(将棋家の養子になれない)のは、
素行が悪かったのが主な原因だろうから。

626名無し名人2019/09/20(金) 05:23:00.36ID:QhFu7qKO
宗歩が名人になれなかったのはそういう素行が理由にあったからかも知れないが
そもそも家元の血筋じゃないからじゃないの?

627名無し名人2019/09/20(金) 09:13:46.90ID:kOft9RvT
>>626
強ければ将棋家の養子になって家元を継ぐ事ができる。
特に伊藤家ではその傾向が強くて、
名人になった5人の内4人が家元の血筋ではない。

628名無し名人2019/09/21(土) 07:16:14.38ID:VcDCyWM3
勝手なイメージだけど宗歩は家柄や血筋なんかで強くても名人になれないという理不尽さでグレたのかと思ってたけど
元々の人間性がそうだったのかな
それとも、そもそも名人位なんてクソ喰らえだったのか
棋譜は多く残ってるけど、ドラマ性は高いのにあんまり伝承とか残ってないのが惜しい人物だね

629名無し名人2019/09/23(月) 11:07:34.08ID:3ED5eUBO
宗歩は自称弟子の小野五平が家元経せずに名人になるために過剰に持ち上げた説

630名無し名人2019/09/26(木) 10:56:25.40ID:i6S8CSaL
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631名無し名人2019/09/27(金) 20:07:18.67ID:ND6JmBsg
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632名無し名人2019/10/02(水) 12:15:04.45ID:CV4lvwb0
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633名無し名人2019/10/07(月) 13:20:37.62ID:xMeqwMc8
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